成田崇 生い立ち成田崇 生い立ち

成田崇 生い立ち

1976年9月 
男三兄弟の二男として平塚市民病院にて生を受ける

小学生時代(平塚市立神田小学校)
神田幼稚園、神田小学校へすすむ
あまり人と接すことができない大人しい小学生でした。

中学校時代(平塚市立神田中学校)
同じ学区の神田中学校へ進学
ここでもあまりパっとせずなんとなくラクそうだからという理由で「軟式テニス部」入部
学校成績も並、運動も並という目立たない中学生でした。
唯一好きだったのは図工と美術、音楽でした。
世界地図や本を読み空想にふけるのも好きでした。

高校時代(私立逗子開成高校)
父親が趣味でやっていたヨットに興味がわきヨット部があるという理由だけで
「逗子開成高校」に進学。
ヨットも勉強もたいした成績は残せなかったものの運命的な出会いがあった。
それが「サーフィン」でした。
ヨット部は悪天候になるとフネが出せないので休部になる、そこで仲間とサーフィンを始める。 
すぐに虜になり部活をサボってはサーフィンに明け暮れる
ヨット部では部長まで務めたが気持ちは完全にサーフィンに向いていた。

大学時代(産業能率大学)
そもそも勉強が苦手だったので大学へ進学しようとは思っていなかったものの
高校の担任の推薦もあり伊勢原市にある「産能大学」へ進学。
もちろんサーフィン部へ入部。ここでも部長も務めた。
海外にも興味がありバックパック旅行にも熱中し野宿をしながら世界中を回る。
(インド・タイ・カンボジア・マレーシア・スリランカ・香港・フランス・ドイツ・ギリシャ・トルコ・イタリア・スイス・アイスランド
デンマーク・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・モロッコなど)

ここで世界を見たことによって日本の良さを再認識。
日本の伝統文化でもある家業の瓦屋に興味が沸いたのもこの時期だった。

ただプロサーファーへの夢は諦められず
大学卒業後はオーストラリアへサーフィン修行に旅経つ。
一年間ひたすらサーフィンをするだけの生活を経験。
結局プロサーファーにはなれず、両親との約束もあり「成田屋商店」へ入社。
初めの2年は職人さんの親方について現場仕事で汗を流す。
ここで現在の基礎となる現場でのおさまりや職人さんの価値観を学ぶ

その後は大手ハウスメーカー物件の現場担当者として監督業に従事
この時期に「かわらぶき技能士2級」「瓦屋根工事技士」「瓦屋根診断技士」などの
屋根に関わる資格を取得。

2013年、平塚支店長に就任 従業員15名職人15名のリーダーとなる。
基本的には支店運営、営業、お客様対応が業務の中心となっていった。

ある時エンドユーザーさんとやり取りする中であることに気が付く。

それは悪徳リフォーム業者にだまされた人の多さです。
もしかするとやり取りさせていただいたお客さまの半数以上は被害にあっているか
あるいはあっていても気づいていない方々のようでした。

「商品は良いけど売り方を知らない会社」と
「商品は悪いが売り方が上手な会社」
どちらの商品が売れると思いますか?

自分はずっと良い工事をしてさえいれば仕事は向こうからやってくると信じていました。

ところがこの業界(リフォーム業)では「商品は悪いが売り方が上手な会社」が圧倒的に仕事を取っていた現実を知ることになります。

そもそも我々屋根屋などの下職と呼ばれる職業は工務店(大工)さんの下に入るカタチで存在しています。
ですから自分達からエンドユーザーさんへ営業したり宣伝したりということをほとんどやってこなかったのです。

職人会社の世界は良くも悪くも閉鎖的で新しいことや珍しいことにはあまり好まれません。
そのこともそれに拍車をかけ、正直にやっていて廃業してゆく屋根屋さんを多く見てきました。

現在、㈱成田屋商店の仕事の多くは大手ハウスメーカーの仕事です。
メーカーの仕事は施工クオリティはもちろんマナーまで多岐にわたり厳しく管理されており職人や我々の技術をさらに向上させていきました。

その技術力で屋根・外壁塗装のプロフェッショナルとして少しでも地域のみなさまに貢献していきたい。

そんな想いで志事と向き合っております。

成田 崇